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@yutorichan98-blog

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発見

そうか、わかったぞ

多くの人は他人と自分を比べ、なんであの人は○ができるのに自分には○が出来ないんだろう、出来るようになりたいから頑張って○を出来るようになろうする。でも結局あの人はもともと自然と○ができる人な訳で、わたしが○をもし出来るようになったとしてもそれは見せかけ。だからどこまでいっても○なあの人を羨ましいなと思う。

でも、そもそもあなたは□なわけで、□は○にはなれないし、○も□にはなれない。

またさらに、○が正あり、□が負とされる世の中では、みんなが○になろうとし、□である人より自分はマシだ、と考える。人と比べて自分を保つなんてファックすぎる。

どちらもあなたは不幸せのまま。

○な人もいれば、○に「点」がついてる人も、●の人も、□の人も△も、ふにゃふにゃの人もいるから世の中は面白いんだから

その人が手にしている現実を羨ましく思っても意味がない。足りないものを補ってもその人にはなれないから。

わたし達は自分の形あり続けてそれでいて、その形に磨きをかけていくしかないと思う。わたしの師匠がよく言う「機嫌よくいる」ことがポイントなんだろうな

そうは分かってても、やっぱり無意識のうちに人と比べてなんで自分はこうなんだろうって落ち込んでしまったり、嫉妬しちゃったり、それ故に批判しちゃうときもある。

だから、今日も明日も明後日も、好きなものや人たちに囲まれて会話をしたり、1人になってみたり、機嫌がよくなることを選び取っていくしかないんだと思う。それしかわたし達の幸せの道は開かれていない。

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モノや情報が溢れかえり、更新される流れが速すぎてなかなか「本当」に出会えない。本当に自分が心から素晴らしいと思えるもの、を私たちはまだあまり知らない。おそらく無意識に人は更新されるたびに飛びついて、そして飽きた頃にまたモノや情報は更新される。飛びつく、飽きる。自分が何が好きで何を感じるのか、自分の歩んできた道すら自信を持てない。焦りや虚無感に襲われる。けれど、いま感じている何かに対する違和感や、満ちたりなさ、怒りを自分の道しるべに探し続けることを始めないない限りそれには出会うことはない。孤独の闇に埋もれさせたり、他者との表面的な繋がりや共感に身を委ねてしまわないように、なぜ、を大切に自分の足で歩く。少しずつ、少しずつだけど、わかり始めた気づきによって、私たちの心や生活は豊かになっていく。お金や地位、表面的な共感といったものでは得られない、誰にも侵すことのできない自分だけの絶対領域、「まなざし」が出来ていく。わたしがわたしであることで見ることのできるこの世界が次第に愛おしく、わたしがわたしである、たったそれだけのことに微かな自信がついてくる。そして自分のまなざしをこれからも大切にしていこう思えるようになる。そうやって生まれた自己への愛はその人に心のゆとりもたらす。そのゆとりから、人は人に優しくなれる、もっと物事を広く俯瞰できるようになる。誰かと比べて妬ましく思ったり、自分なんて、、、がなくなっていく。自分が自分のことを好きであることはイタイことではなくとても素敵なことだと思う。どんな仕事をしたいとか将来どうしたいとか、考えても考えても相変わらず答えが出ないけど、これからも自分の足で歩いて、見て聞いて感じて、もっと自分のまなざしを信じたい。

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かっこよすぎだろ〜〜〜!

やっぱり人間性が服にはあらわれるよね

なんでもそうだけど笑

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自分が書いた文章にちょっとだけ救われる日が来るなんて、考えもしなかったよ、、、。すごいな、わたし(自画自賛)←携帯にメモしてた文章を読み返して

2018年も残りわずか、二十歳の一年でした。みんなはどんな一年でしたか?

そういえば二十歳になる前は、二十歳はなんか人生の分岐点だ!ってゆうイメージが強くて、いよいよ二十歳、何をするのが自分にとってベストなんだ?!ってことが頭の中を占めてて、案の定考えすぎて答えが見つからないスパイラル。(あたしの特技①考えすぎてパンクすること。)モヤモヤするのにも疲れて、いやいや、二十歳といってもそんな意気込む必要なくな〜い?って開き直って(あたしの特技②直感とかでいきなり行動すること。)ただただ目の前のことに関心を向けるようにして過ごしたけど結果的に本当にいろんなことがあったよね。

フランスにも行ったし、maiさんに会いに東京にも弾丸で行った(結局zineは作らなかったけど、言葉があるように見える人でも実はそうでないとゆうことがわかっただけでもよかった)好きな人ができて依存もした、嫉妬もした。人に悪くも言われた。失うものもあったけど残ったり、逆に得るものもあった。尾道に行って自分自身で考えること言葉を発すること、見ること、行動することがこんなにも人をイキイキさせるんだってこと知ったし、前よりもっと自分のことを好きになれた。clampにも自分の居場所ができた気がして、源さんみたいに自分の心の声に正直でそれを大切にできる人、物事を捉えることのできる人になりたいって思ったし、ケイさんみたいに行動力があって、正直で、お茶目で、でも信念がある女性になりたいと思ったし、祥子さんは一緒にいてすごい落ち着く。そんな場所で今働けていることにもすごく感謝してる。自分はとても恵まれている。好きの感覚がわからなかったけど、好きってこんなことなのかって、その人と一緒の時間を過ごせるだけでこんなにも満たされるんだって、わかった。付き合う意味も、分からなかったけどその人のおかげで付き合うことに対する自分の捉え方が変わって、いつか好きな人がまたできた時に、付き合えると思えるようになったし、何だかんだすごく成長していると思うんだよね、自分でゆうものなんだけど笑笑

昔の自分に比べて今の自分がすきってものすごい最高じゃん!もうこれからいいことしかないじゃん!自分が見てる世界って自分で変えられる、全部自分しだいじゃん!!なにそれ最強!って思うけど、何だか最近色んなことにイラついてしまう。なんでおもしろそうなお客さん来ないんだろう?とか、なんでそんなつまんないことにフォーカスしてるんだろう?もっと見なきゃいけない世界あるんじゃないの?ってなんでなんでなんでの無限ループ、疑問(誰かに対する不満)がぐるぐるしてる自分にも疲れるし、ネガティブなことばかり言うのは一緒にいて楽しくないよね〜って思って誰にも言えなかったり、だからできるだけ楽しい子を演じてるわけではじゃないけど、そういう考えを隠してたんだと思う。自分の責任だから、今見てる世界は、自分で変えなきゃ、そのためには自分が変わらなきゃ、今つまんないのは全部自分のせいだって自分に課題を課しすぎて、自分の弱さを認められなかった。人に弱いところ見せられなかった。わたしだって、愛がほしい、こんなことに不満があってどうしたらいいのかわからないの、愚痴を言っちゃいたくなる。。でもこんなことはすごく楽しいと思っていて、ここに行ってみたい!こんなことしてみたい!こんな楽しいことが世の中にはあるんだ!わくわくするときもあるの。潮が満ちたり引いたりするようにあたしも満ちたり引いたりする。常に満ちたりている状態ではないんだよね、まだ。多分今引いてるとき。でもそれを認められずに、満ちてるふり(今いる環境に対して感謝することがたくさんあるのにそれができない自分を責める、できてないことに焦る)してたから余計フラストレーションが溜まっていたのかもしれない。誰だって自分を認めてもらいたいもん。強さだけじゃなくて弱さも。それってありのままってことだよね、きっと。わたしは今回自分がおもったより強くないことを知りました。そうです、弱いんですわたし。今はそれを認めるけれど、わたしは強くもあるんですよ。強く自由になってゆくんですわたしもあなたもみんなも。弱くて強いのがわたしだし、それがわたしの魅力だと思う!!

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花を買い、飾る。服を買い、着る。本を買い、読む。誰かが作ったものをわたしが買って消費する。わたしはなにを生み出してるんだろうって、買って消費することしかできないのか?消費することでしか自分を表現できないの、なんか哀しい。

わたしから生まれるものがあなたの足元を少しだけでも照らせたらいいな、不安な夜に寄り添えたらいいな。考える脳みそも創り出せる手も持っていて、きっとわたしは生み出せる。まだ何かは分かんないけど。いいな、って言うだけの口しか持たない私じゃない。私たちじゃない!!(はず!)

とりあえずやってみて、違ったらやめるね。自立したいゆっくりでも絶対見つける

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荒地で咲く花や、自分の目で手でいいと思ったものを愛でることのできる女性になりたいな〜そしてさらっとドレスが似合う人

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ため息が出ちゃうくらい20歳って色んなことが起こる。でも多分20歳だからってことじゃなくて、トータルで見たときにあたしの人生ってだいぶ濃いな。

9/20

昨日はYDSギャラリーですっごいすごいガラスの作品を見た後に、ガラクタ屋さんでやっすい安いガラスのオブジェを見つけて思わず購入してしまった。安物買いの銭失いじゃん〜〜〜、本物じゃない感、、ってショック受けてたら、よく行くカフェの店長にいい買い物だよ!!そんなショックうけるか?!笑 って言われてだいぶ救われた〜〜〜人から見たら小さいとこで悩んでることってあるよな〜

帰りに鴨川を通ってたら、大学生かなー?4人組がフォークを演奏してて、デルタ近くだったてのもあるけど人が寄ってたな〜音楽のあるところに人が集まる現象、すごくナチュラルに音楽が景色と人と馴染んでて思わず立ち止まって聴いちゃった。こういうの少ないよねー、音楽はライブかケータイで、日常に本物の音があるって最高に幸せだよなーって感じた日でした

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tvod

#TVOD Essay26 自分の居場所と、その外側/comeca

「自分の居場所」というものについて、最近よく考える。「ここが自分の居場所だ」と思える場所があると、人間は安定する。そして大抵の人間は、そういう「自分の居場所」を求めたり、手に入れたそれを維持しようとしているところがある。…というかまあ、「自分の居場所」が完全にどこにも無いと感じることは人間に強い不安をもたらすので、実際問題生きる上で何らかの「自分の居場所」を探す必要はどうしても出てくる。

 ただ、誰もがそういう「自分の居場所」のことしか考えなくなった社会は、徐々に行き詰まる。沢山の人々それぞれによる無数の「自分の居場所」が共存する場が社会であり、その調整や運営に銘々が能動的に参加しなければ、必然的にその社会は機能不全を起こす。

 だが例えば今の日本社会では、個々の人々が「自分の居場所」の外側に対して目を向けることを放棄しつつある。自分の身内で構成される「自分の居場所」が楽しく気持ち良く機能しているのならばそれでいい、それ以上面倒なことには関わりたくない、という感覚。

 何しろ、国の総理大臣がそういう身内贔屓ばかり繰り返している人間なのだから、何をか言わんや。今この国で安倍晋三が支持されているのは、謂れのないことではないのだと思う。「自分の居場所」の中に引きこもっていたい、その外側に目を向けるのは怖い、しんどい、めんどくさい…というのが、日本社会に漠然と共有されている感覚なんだと思う。

 かつてカウンターカルチャーやサブカルチャーに惹かれていった人々には、あらかじめ決められた「自分の居場所」に対して反発し、そこから「外側」に向かっていった者が多くいた。まあ結果はどうあれ、新左翼にかぶれることも、ロックや演劇に没頭することも、「外側」へ向かう契機にはなったところがあると思うのだ。もちろんその先で新たな「自分の居場所」に引きこもった者もいただろうし、「自分の居場所」を失って行き倒れた者もいただろう。それでも、一度は「外側」に出ていこうとした若者が多くいたことは確かだと思う。

 今のサブカルチャーでは、「自分の居場所」を如何に上手くつくるかが重要になっている。SNS以降の世界というのはそういうものだ。それは今の状況下における生存戦略としては確かに重要なことだし、決して悪いことではない。政治や経済のレベルで個々が孤立化し衰弱させられていく時代の中では、それぞれが「自分の居場所」を探すことは確かに必要なことだ。

 ただ、そこまで踏まえた上で、「自分の居場所」からフラッと出ていってしまってもいいんじゃないかと思うんだよな。私たちはたぶん誰もが、そのことに対して不必要なまでに脅えている。「自分の居場所」の外側に一歩出た途端、あっさりと食い殺されてしまうんじゃないかという恐怖を、みんな過剰に抱えている様な気がする。

でも実際は、人間は案外そんなに簡単には死なない、と思う。

 根拠は無いけど。

 生きるために必要な「自分の居場所」が、いつの間にか自分の生き方を規定し始め、そこから出ることを過剰に恐れるようになる。誤解しないでほしいんだけど、ぼくは別に、だから今すぐ外国に行って自分の知見を高めよう、とかそういうことを言いたいんじゃない。自分にとって居心地の良い「自分の居場所」の外側にある場所に目を向けて、そこに少し足を踏み出してみるだけで、実はすごく楽になれるところがあるんじゃないか、と言いたいのだ。

 自分の身内ではなく、「他人」と出会える場所は、「自分の居場所」の外側にこそある。コミュニケーションの網の目を張り巡らせて「自分の居場所」をつくることとは別のやり方でしか出会えない「他人」。そういう存在に出会うことこそが実は、私たちを恐怖から救ってくれるんじゃないだろうか。そのことは、「自分の居場所が無い」という不安を解消することよりも、実はずっと大切なことなんじゃないだろうか。

 そして、そういう風に「自分の居場所」の外側に気軽に出られるようになって初めて、社会の公平な運営に参加することに、人は能動的になれるんじゃないかとぼくは思っている。

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いつかとなにか

9/8 友達の数は少ないけど、みんなそれぞれ魅力に溢れててたまらなく愛しい!!愛すべきみんなといつか何か同じ空間で作り出せたらいいのに!!

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日が差す新幹線の中で、きらきらと輝く外国の女の子の柔らかで細い腕のうぶ毛。

満席で立っている人も多い自由席で、自分は次の席で降りるからと、席を譲ってくれたおじさんの顔。その後も空いてる席を見つけては立っている人に手招きし、こっち空いてるよ!って教えてあげてたあの顔。英雄みたいな顔してた。

尾道で泊まったゲストハウスで思想家に出会った。当たり前とゆう価値観の崩落。資本主義国家に生きるあたしたちの幸せとは?

うまくアナキズムの考え方が飲み込めずこぼした本音を受け止めて、でもそれでいて違う考え方も提示してくれた人

直感で本質を見抜いている人

その町の人が、社会で起こる(あたしたちが遠くで起こって無関心な)問題に対して本気で怒る。自分たちが住む町、住む日本、住む世界とゆう捉え方をされているんだろうなと、それが本当の世界だよなと

お寺の帰りに座った木陰のベンチで読書をした、隣に猫が座って寝た。猫の恩返しを思い起こさせるじゃないの、でも多分観光客慣れしたふてぶてしいネコ

2日目なんと無料で泊めていただいた。

夜中。帰路にて、夕方行った古本屋の店主と遭遇し、一杯どう?と声をかけてもらい近くのバーに行った。その人はその日誕生日だったのについついわたしは自分の話をし過ぎてしまった。

帰ろうと駅に向かっている途中で、一昨日行ったレコード屋の店主と遭遇。暑いですねなんていいながら、商店街を歩いた

ちなみに青信号は渡れ、のサインだけどただのルール。青になったら周りを見ずに渡るのが日本人らしい。でもみんながみんなルールを守るとは限らない。青でも右、左、右。赤でも渡れる状態だと判断すればわたる。当たり前を疑う

当たり前はほんとに当たり前なのか?

尾道にいって学んだこととゆうか、感じたことは沢山あってめちゃくちゃ忘れたくない、一生生きていく上で大事にして生きたいことばかりやと思った。けど、それを文字にするのがやっぱり苦手で、じゃあその考えや学びをわたしにさせたトリガーがある訳で、それをかいてみた。

文字にしなきゃ意味がないなんてことはないかもしれないなぁと思う。

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8/20 尾道にて

日本語では無政府主義と訳される(らしい)アナキストの人に会った。その人には今の日本はやばいとか、究極国家はいらないって、ものすごい勢いと知識で喋られて(言い方失礼でごめんなさい笑)正直価値観を押し付けられるのすごい苦手だからこの人なんなんだ?って思ったし、言ってることめちゃくちゃだし、聞くの辛いななんて思ったけど、多分だけど、その人がいいたかったのはあたしたちが普段考えてる幸せってなんの上で成り立ってるのかとか、そもそもの幸せを定義する背景に疑問を持たずに、とゆうか疑問を持たない方が楽だから従順してるのであって、一人ひとりが今生きてる自分の周りとか日本とか世界全体の事考えてる?みんなの当たり前は当たり前なのか?て事なのかなー。

それに対するわたしの考えはそもそも国家をなくすのはむりだと思うのわたしはね。だから、国家ありきの社会の中であたしたちがどう生きるのが一番心地よいのか、心地よさを求めるってことは社会のマイノリティーであろうとおかしいことはおかしいって声を上げることと、こうやって極論的で乱暴な考え方を(またもや失礼な言い方すみません笑)全面的に否定しないで噛み砕いてそれに対して自分なりの考え方を持つこと。みんなが自分の考えを持って社会のことを考えて、意見なんて人それぞれ違って当たり前なんだから、人と違うことを恐れないで声に出すことが大事なんだな〜って思った。パキシルって知ってる??精神病で処方される薬なんだけど覚せい剤なんだよね、日本では持ってるだけで逮捕されるのに、名前を変えるだけで同じものが当然のように人に処方されるらしいんだよ、怖くない?それで人の心の病気が治るわけないのにね〜、、でも今日あの人に会うまでは知らなかった。もっと知らなきゃいけないって真剣に感じた。考えるだけじゃだめなんだってあの人は言ってたけど、あたしは考えることで意識は変わると思う。意識が変われば行動も変わってくる。些細なことだけどあたしはそれを実践して、楽しく生きることに一生懸命で出会った人の心に考えるきっかけを作ることのできる人になりたいな〜押し付けも否定もない、受け入れて、一緒にあたしも考えて話し合いたい。その心の余裕とか優しさが持てる人になりたい〜〜