yukimikeru.net
さんかくの言葉 | 下から読んでも「みきゆきみ」日記
ブログを始めたのは良いけれど、何を書けば良いのかずっと悩んでいる。 うじうじしながらiPhoneのメモを開いては閉じ、また開いては閉じ、をずっと繰り返している。ひとつずつ開けてスクロールしていくと、寝る前に1日を振り返っても心のヒリヒリが治らない日の私が、たまに埋もれている。書きかけの句読点で終わっている、あの日「書けなかった」私がそこにいる。 *** 私はかなりの人見知りである。意外だと言われることも多いが、人前に出ることも本当は好きではないし、人に自分がどう見られるか、というところに敏感で、気になりだすと止まらない。だから、相手にじいっと見られないために、必要以上に喋ってしまう癖がある。 簡潔な答えを求める相手に「つまりこういうこと?」と言われて初めて、一言に絞れない自分に気付く。属性を越えた「共同」や「共生」を熱望していた私の言葉は、確かに私と「同じ言葉」でありながら、ときに別のもののように感じられたからだ。 外国にルーツを持つ子ども・若者に関わるようになり、同じように外国人や外国にルーツを持つ子ども・若者に関わる大人と出会うことも多くなった。とてもありがたいことに、最近は子ども向けだけでなく大人向けのセミナーや講演に呼んでもらうことも増えた。 まだ学生だった頃に呼んでもらったボランティア向けセミナーで、「共生というなら外国人はもっと日本の文化を学ぶべきだ。〇〇さんは日本語の勉強も熱心で、すぐに日本人の友達ができた。教えている私もやりがいと手応えを感じた。共に暮らしていけない、というのは本人の甘えによるものだ。」という意見に本気でキレかけた事がある。 その方はベテランのボランティアさんで、これまで培われてきたノウハウから、「あなたはお若いからわからないでしょうけど、」という前置きとともに持論を展開した。 頷くことすら憚られる内容だったが、私は自分自身のこと、家族のことを交えながら「やりがいや手応えをあなたにあげるために日本語の勉強をしているんじゃない、外国人の生活が能力によって判断されることそのものが問題だと思う」と一生懸命説明した。男性は「まぁまぁ、三木さんはお母さんが外国人だからそりゃそう思いますよねー」と半笑いで話を終わらせた。