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気球男児に見る一連の報道のスピードと広がり | 山口良介のブログ
珍事に人は弱いのだな、と。 確かに自宅に気球を常備飛ばせるようにしておいて、そこに男の子がのっかちゃって、飛んでっちゃって、オチは乗っていませんでした。という文章にすると、ワケがわからず、なんのひねりもなく、面白くもなんともない出来事が、ものすごい報道量である。男児が無事だったから言うが広告換算したらものすごいことだろう。 これにはひとつ、大きなキーワードとしてリアルタイム性というものがある。 一連の出来事が解決したあとの記事だけ読むと、イマイチだが、軍のヘリさえ導入した気球を追っているときの臨場感を想像すれば、その緊張感はさぞスゴイものだろうということだ。男児の行方は?無事なのか?といったスーパーが画面に踊っていたに違いない(無事だったから言っていますよ)。 そして、この事件がなんでこんなに広まるのだろうという点だ。そこには珍事性というものがあると思う。珍事に人は弱い。 まず、気球が自宅に常備飛ばせるようにしている父親、というキーワードもあるが、必死の救出劇に対して、乗っていなくて自宅待機の男児、という落差のオチ。またそれに対するバッシングなど言葉にするとつまらない特大三面記事になったのだ。 auが新製品発表会をTwitterで中継するという「試みを広告」している。 最近はこのように、どこそこでなになにをやりますよ、といった広告が増えているという。リアルタイム性を共有するために、時間と場所を指定して、そこに来てみんなで体感しようという試みだ。 これが、広告のイベント性をよりいっそう高めているという証拠ではないかと思う。 広告が広告という枠を超えなければならない時代になったのだ。