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倉阪鬼一郎『クトゥルー短編集 魔界への入口』を読む。
クトゥルー神話というテーマに絞ってこれだけ多彩な作品集を作れることに驚く。 また、終末の光景の美しさ、物寂しさに惹かれるものがある。 これはシンクロニシティのような話ではあるが、たまたま同時期に読んでいた『続・入沢康夫詩集』に収められているエッセイ『作品の廃墟へ――幻想的な作品についての妄想的な断想』の文章を思い起こされた。 幻想的作品がうさんくささを呼び、マイナーな感じを持つとすれば、そのより本質的な理由と考えられるのは、それら幻想的作品の「時間性」の問題である。その幻想が真に戦慄的であるためには、(中略)それは超時間的なもの、時間と垂直に交わるものなのである。ところが、いわゆる幻想的作