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寄らば大樹の陰 | すたぽ-Starting Point-
宋神道さんが旅立った。95歳だった。 「在日の慰安婦を支える会」の友人たちは、本当に最後まで支えきった。その努力には、ありがとうしか言葉が浮かばない。 私は今、ドイツで生活している。 日本を発つ前、これが最後だと思って宋さんを訪ねた。慎重に入室者をチェック出来る施設には嫌がらせが来ることもなく、 よこしまな思惑を持った連中が簡単に押しかけることもできず、穏やかな陽が入り、施設の人たちも優しかった。それが、私にとっては救いだった。 宋さんは、植民地下での典型的な人身売買の被害者だった。1922年11月24日、忠清南道(チュンチョンナムド)生まれ。 数えで12歳の時に父が死亡。16歳のとき、母親が決めた結婚が嫌で嫁ぎ先から逃げ出したが、大田(テジョン)で40代の女性に「無理して嫁に行く必要はない。 戦地に行けばお国のために働けるし、心配ない」と騙され、中国の武昌にあった日本軍相手の「慰安所」に入れられた。 見知らぬ土地で、言葉もわからないのでは、逃げることもできない。以後、軍人たちとともに戦地を転々とした。 宋さんの「オラ、タマくぐって生きてきたんだ」と語る言葉には、兵士たちの性のはけ口として、また雑用係として、戦火が厳しくなると負傷した兵士らの世話をさせられた。 むしり取られてきた時間と人生が織り込まれている。 敗戦後、日本人の元軍曹が「結婚して一緒に日本に行こう」と宋さんを誘った。それは、夫婦という形なら安全に日本にたどり着けるという計算からだった。 しかし、日本に着いたとたん、酷い言葉を吐いて宋さんを放り出した。そこの言葉をここに書くことはできない。あまりにもひどすぎるからだ。 結果として、宋さんは日本で暮らすことになった。 その後、ひょんなことから戦時性暴力の被害者であることが判り、日本の法廷に立った。 いつだったか、宋さんが私の講演会の会場に来て、「お前、カネあるか?」と聞いてきたことがある。 私は、「あるよ、いっぱい。なんでも言って」と答えた。するとまた、「カネあるか?」と聞かれた。その度に「あるよ」 と答えたが、最後に宋さんは「小遣いやろか?」と言ってきた。私は、想像もしていなかった言葉に、「いっぱいあるからいいよ」と断ってしまった。失敗だった。 百円でも二百円でもいいからもらっておけばよかったと後悔した。宋さんには、小遣いをあげられる家族はいないのだ。