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海景の後先 九十九里ブルース – Ⅳ さよならミューズ (6カット) | Fumi'Hiro'. K 写真美術家
ネガからカットを探し、かつて選択しなかったものを復元するのはあまりに重大なものごとを気づかせてくれる。 前途洋々とまで言えないが可能性が感じられ下手くそなりに前進していたと思い込んでいた。こんな若気の至りの時代は、いま振り返るとひりひりした恥ずかしさでいっぱいの気持ちになる。地方出身者にとって都内の大学に入学することは、まだ親掛りとはいえ独立して生活をはじめるのを意味する。風呂なし六畳一間と台所のみのアパートは自分にとっての城であったし唯一の帰る場所そのものだった。撮影アシスタントをいくつか経験して、バイトと呼ぶには責任が大きな撮影の仕事をはじめたのもまた怖いもの知らずの若気の至りだ。大田区の下町にあるアパートは小さなスタジオ兼現像ラボで、写真を撮り続けるため写真で金をもらい機材を買うため四苦八苦しつつ金のためにまた撮影する自転車操業の繰り返しが始まった。 これでも単位を落とさぬように大学に通い続けていた理由は、たぶん写真で自立できないだろうという恐怖だったはずだ。キャンパスを次の教室へ向かっているとき、私はとんでもない人と出くわした。艶を帯びた光を放っている人がいて、重力を感じさせない宙に浮くような滑らかな人間離れした動きで目の前を横切った。ミューズが私に降り立った瞬間だった。この表現まで若気の至りにしたくない。笑いたいやつは笑えばいい。撮影が下手くそで何も知らないに等しかった私は、ミューズに導かれようやく写真の本質に向かって足を踏み入れたのだ。むしろミューズとの出会いを意識できないまま過ごした人々とは違うのであると誇らしく思う。九十九里もまたミューズを撮影するため選んだ場所で、ミューズに導かれて行った場所だった。