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Va+: ISSUE #005 Victory and Artistic Production
#005 Va+ 勝利と芸術生産 Background 2016年におこなわれたアメリカ合衆国大統領選挙やイギリスでのEU離脱を問う国民投票。ポピュリズムの台頭、あるいはリベラリズムの敗北ともいわれる状況に対して、あなたと私は「勝利(Victory)」をどのように捉え、そこから何を思い描けるだろうか。 「勝利と芸術生産」は、「勝利」を掲げることで逆説的に「敗北」を考え、「勝利-敗北」という構造そのものを問うことをテーマとしている。例えば日本での「終戦記念日」が、他の国では「解放記念日」や「対日戦勝記念日」と呼ばれ、背景となる意味も制定された日付も異なるように、「勝利(Victory)」とは、ある一面では特定の社会や思想が抱く正しさの終着点であり、別の側面では敗者を生み、その結果として弱者や貧困をはじめとするさまざまな問題を切り捨ててしまう状況にもつながる。そして、それは現在見えていないだけで、アートが抱えるリベラリズムやポリティカル・コレクトネスが持つ正しさや公平性においても同様であるかもしれない。勝利に伴う正義の対には敗者の姿があり、誰かに勝とうとすることは、負ける誰かを生み出すことにもなる。私たちはそうした矛盾を感じるからこそ、今日ではむしろ「勝利」に付随する盲目さや、自らの居心地の悪さを感覚的に避けようとしているのではないだろうか。 芸術生産を通して、私たちは「勝利」と、逆説としての「敗北」、そして「勝利-敗北」という構造そのものに対して、どのように向き合うことができるだろうか? 当然そこには、勝つか負けるかという二択ではなく、旧来の闘争や衝突から「逃げる」という選択肢もある。あるいは社会の中で身を翻し、現実に起こる日々の苦難に奔走されることなく、自分たちの生活における「よりよく生きる」ことを、「勝利-敗北」の構造そのものから遊離した姿として定義付けることができるかもしれない。では、その遊離した姿とは、一体何であろうか?ライフハック的な営為を経ることで、果たして「勝利-敗北」の構造から逃れることができるのだろうか?既存の価値基準に自らを委ねることなく、オルタナティヴを探すことで、勝利の意味を実践として書き換えていく可能性はあるのだろうか?