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一身独立して一国独立する
貧富・強弱の有様は天然の約束にあらず、人の勉と不勉とによりて移り変わるべきものにて、今日の愚人も明日は智者となるべく、昔年の富強も今世の貧弱となるべし。古今その例少なからず。わが日本国人も今より学問に志し気力を慥かにして、まず一身の独立を謀り、したがって一国の富強を致すことにあらば、なんぞ西洋人の力を恐るるに足らん。道理あるものはこれに交わり、道理なきものはこれを打ち払わんのみ。一身独立して一国独立するとはこのことなり。 『学問のすすめ』 福沢 諭吉 今、もし、学問のすすめの激烈な文章を本邦の総理大臣が講演でうっかりしゃべると、マスコミと野党から批難を浴びる。そして、国民からも。 寝起きしかせず、何も努力せず、他人に頼り、子供はよく生むけど、子供を教育せず、恥を知らない人。すなわち愚民。西洋の諺、「愚民の上に苛き政府あり」。愚民を批判し、国の為にならないとこき下ろす。他方、国の怠惰や封建を理でこき下ろす。痛快。痛烈。学問のすすめ。学問とは実学にあらず。ただ、文字を読むだけでもない。 独立とは自分にて自分の身を支配し他によりすがる心なきを言う。みずから物事の理非を弁別して処置を誤ることなき者は、他人の智慧によらざる独立なり。みずから心身を労して私立の活計をなす者は、他人の財によらざる独立なり。人々この独立の心なくしてただ他人の力によりすがらんとのみせば、全国の人はみな、よりすがる人のみにてこれを引き受くる者はなかるべし。 『学問のすすめ』 福沢 諭吉 一国の中に人を支配するぐらいの才徳を備える人物は、千人のうち一人。人口100万人なら、1,000人は智者で残り99万人は無智の小民。すさまじい。大人のいない国 と批評する先生方でも、ここまで直截な表現を採用していない。活字や外へ漏れない場では知らない(笑) 今日の内田樹先生のエントリー を読んでいて納得した一節。 発行年月日にかかわらず、最近になって縁あって遭遇した本や、昔読んでいるのだが、そのときにはあまりぴんと来なかったことが、今になって突然「あ、そうか。そうだったのか」と腑に落ちた本というのは、「今」書評する価値があると思う。 その本がたまたま私の意識の前景にせり上がってきたのは「現在」の何かがそれを読むことを私に要請したからである。 その「何か」について考えることの方がはるかに知的に広がりのある場所へ私たちを連れ出してくれるのではないか。via: 書評の憂鬱 (内田樹の研究室) 今のぼくは、『学問のすすめ』 と『福翁自伝』 を「今」書評する価値があると思う。昔読んだけどぴんとこず、今になって突然膝を打った。そして、前景化され「現在」になった。 自分の存在が聖なる権威に正当化される。そこまで図太くないなら、代わりに「国民」というラベルを聖なる権威に押し上げ、それを誹謗しようものなら糾弾する。無謬の存在。いま、至る所にそういったラベルを聖なる絶対者に祭りあげ、そこへ自分を投影してしまっている。それがすごく怖い。