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経営には論理と情緒と諧謔とエロスが必要
今さら感を漂わせつつBONESのSeason1を観ている。知的でおもしろい。制作費と比例するのかどうか知らないけど、日本のドラマと比較すると、テーマの角度が違うなと感じる。セリフのひとつにしてもウィットに富んでいる。 僕は常々口にするように、くだらないセミナーや講演を聴いたり眉唾の研修を受けるなら、映画やドラマを題材に食事でもしながら話し合うほうが、経営の役に立つ、と考えている。映画やドラマ、読書をそのまま楽しむなんてもったいない。関係ないと受け止めがちなテーマを自分たちの領域へいかに取り込めるかを鍛える。抽象的事象を具体的実践課題へ変換する。それには対話が必要だ。 BONES ―骨は語る―では、テンペランス・ブレナン博士とシーリー・ブース捜査官が、メインキャストとして登場する。二人のかけあいがすこぶるおもしろい。博士は論理、捜査官は情緒のメタファといったところ。周りのキャストはユーモアとエロスで二人を包んでいく。あとは、それぞれの陰。人間の性質は陽だけじゃない。 論理の博士は捜査官の情緒を不思議な目で見つめる。骨が語る事実だけを頼りに推論していく。ロジカル&クールに。それ以外の勘や推測を要素に算入しない。 だけど、日常は論理だけで営めない。研究所では通用しても一歩外へ出ると、そこは位相が異なる世界。事件の被害者は、博士が語る客観的事実を耳にして、ありのまま伝えようとする姿を目にして、時に感情を高ぶらせる。冷徹な事実は五感をシャットダウンしたくなる。そんな博士を捜査官は窘める。 かたや捜査官は現場で躍動している。にもかからず、研究所ではぐうの音も出ない。勘や根拠のない推測、倫理というピースは研究所には存在しない。一笑されるだけ。 論理と情緒、どちらか一方だけでは足りない。それを相互扶助している。 論理と情緒、それを俯瞰してみよう。論理と情緒だけでも何かが足りない。日常が潤わない。そこに、ユーモアとエロスのスパイス。それも知的で巧味のある、頭のいい連中がウインクするようなユーモアやエロス。ジョーク。外連味のない言葉のファッションショー。 経営も同じだ、と僕は思う。論理と情緒と諧謔とエロス、そしてジョークを一人だけでは演じられない。それぞれの役割を果たす人を集める。それがチーム。 そんな視点で海外のドラマを視ると、僕は頭の中でいくつもの対話をしている自分に気づく。 だから、くだらないセミナーや講演を聴いたり眉唾の研修を受けるなら映画やドラマをみんなで観賞して、本を読んだりして対話するようほうが、「視点」と「発想」を生み出せる。ただし、身近なテーマより、まったく異なるテーマを取り上げるほうが難産なのも確かだ。一体、こんなことが何の役に立つのかと頭が憤り、躰は無関心を装う。その時間を耐えたとき、同業他社が追随できない現場の空間が現れる。 って、根拠のない推論を書いている。∴切望する。僕は論理を司る人格を欲しい。それが存在しないと痛感し自暴自棄におちいる。まぁ、こればかりは自分とうまく付き合う方法を模索するしかない。 [ad#ad-1]