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大阪は左、滋賀は右
旅なら気にならないし、東京の人(のフリをしている人)から嘲笑されたらされたで土産のひとつもできたと喜ばしい。だけど、住むとなると話は別。 それにしても、関西弁が柄が悪い、というイメージはどこから来たのだろうか。おそらく、テレビのせいだろう。吉本の芸人はかなり無茶な突っ込みをするし、強引に笑いを取る。だが、吉本の芸人が使っている言葉をそのまましゃべっている関西人はほとんどいない。あれはいわば「吉本弁」なのだ。「吉本弁」は大阪南部の言葉がベースにはなっているが、それと全く同じではない。だいたい、ああいう下町言葉を「下品」だと言うのであれば、我々も「てやんでえ」だの「あったりめえよ」という言葉にはかなり違和感がある、と言わざるを得ないのだが。 [...]だいたい、「関西」と「大阪」の区別がついていないことも勘弁してほしいものだ。我々は、自ら「ダサイタマ」ではなく「東京」と呼ばれたがる卑屈な埼玉人ではない。京都・大阪・神戸・奈良という関西の四大文化圏は、関東における東京・横浜・千葉・埼玉よりもよほど個性が強く、言葉一つとっても一緒くたにできる要素など全くない。それとも、東京人は自分たちの身内も「ダサイタマ」などといって馬鹿にしているくらいだから、よそ者などもっと馬鹿にしても当然だとでも思っているのだろうか。via: 「関西弁は柄が悪い、下品だ」「大阪は民度が低い」 「吉本弁」とは言い得て妙。さんまさんや紳助さんが全国ネットで関西弁を話すようになって吉本芸人は免罪符を手にした。以来、関西弁をキャラ立ちさせてきた。だけど、テレビの関西弁は衒いがある。関西弁+中途半端な標準語的トーク。私の里は瓢箪山。大人たちは河内弁を使っていた。特に瓢箪山から出ない大人たちは顕著。祭りの会合なんかで飛び交う言葉は下品。なぜ下品と思えるかというと、高校の入学式でショックを受けたから。瓢箪山から近鉄奈良線に乗車して30分ほどで上本町がある。そこで下車して高校に通っていた。大阪の外れから市内へ。大人であればわずかな距離。16歳には異国の地。同じ大阪なのに発音や単語の言い回しがわずかに異なっていた。わずかな差異がかなりショック。同じ大阪人なのに違う言葉、って感じかな。で、上本町や市内に住む人たちの大阪弁はキレイだった。キレイといっても、米朝さんが話すような上方落語の美しさじゃないけど。 瓢箪山と上本町の差異に驚いた青年は大人になって滋賀県に住み、今は大阪・神戸・京都を仕事で往来している。奈良は知らない。大阪・神戸・京都、それぞれが違う。エスカレーターですら違う。大阪は左側が空く、京都は微妙、滋賀は右側が空く。いわんや言葉をや。滋賀の言葉に大阪弁のようなイントネーションはない。歌手の「ゆず」を「ゆず」と発音すれば、「ああ、すぐ大阪の人やね」とわかる(文章にしたらわかるわけねぇや)。滋賀は前者の「ゆず」、大阪は後者の「ゆず」。京都は別世界。京都の商売人と話せば、京都をチラッと垣間見られる。千年王城とはよくいったもんだと体感。大阪弁とは異なるイントネーションな言い回し。大阪弁より少しゆったりした感じ。滋賀でも地域によって違う。なつかしい響きで話す地域もある。その響きはだいたい県の中心からはずれている。かつ、世代的には年配の方がおおい。大阪、京都、滋賀、たぶん、「世代」という影響は大きいと思う。 で、ATOKも違う。神戸、大阪、京都、奈良は一発変換できるけど、滋賀県は滋賀と入力しても一発変換されず、必ず滋賀県と入力しないと一発変換されない。屈辱。 つらつらと書いてたけど、何が言いたいかというと、東京のみならず、日本が世界を眺めるとき、「フランス人はシャワーを浴びない(から不潔)」とか「欧米人は歯並びがいい」などの景色を堪能する。ハリウッドスマイルに刷り込まれ、ナポレオンの臭いフェチに感化されたり。反対もしかり。ラストサムライを観たとき、椅子から転げ落ちそうな衝撃を受けた人も少なくないはず。あれを持ってして、「もっとひどかった。我々が現場の人たちと話し合いながら改善した」なんて真田さんの口から聞くと、「改善させる前の映画のほうが映画らしくていいだろう」とツッコんだり。微妙に正確な描写はやっかいなイメージを与えかねないわけで。 旅をするとき、旅行ガイドを片手に散策すれば効率的に移動できる。それはそれで便利。否定しちゃいけない。だけど、旅行ガイドを手にしたことによって、「関西弁は柄が悪い、下品だ」「大阪は民度が低い」と握手するハメになることも自覚しておこう。旅行ガイドは私の想像力をかんたんに奪い去る。あざやかな手さばきで。見わたすかぎり私の知らない景色。そのとき、ガイドを手にしたくなる。京都へ何度も通う人がガイドなしに遊べるようになっても住人ではない。反対に京都も千年王城のあぐらをかいていれば、再び不遇の時代をむかえる(修学旅行の学生しか見かけない時期があったようにお見受けする)。 滋賀県が滋賀と入力しても一発変換されないことを羨んでもしょうがない。滋賀(クソッ、いいかげん腹立ってきたので単語登録してやる)は神戸・大阪・京都・奈良へ羨望の眼差しをおくってもしょうがないto 国粋主義と地域主義はコインの表と裏。いずれも先鋭化してしまえば滑稽な話。