thinksell.net
[Review]: コミットメントの力
コミットメント(=commitment)を辞書で調べると、(〜するという)約束言質義務責任と書いてある。他には、(〜への)かかわり合い参加という意味も。これが転じて、経営用語に用いられ注目された。カルロス・ゴーン氏によるところが大きい。日産自動車のCEOに就任してV字復活を遂げたときクローズアップ。達成すべき目標を設定し、未達なら具体的な形で責任をとる。降格や減俸もアリ。過酷。だからコミットメントなき変革は半端におわる。 本文にも出てくるように、まったく自分と関係ないところにいる人たちが被っている理不尽な扱いについて、自分に何の直接の利益もなかったとしても何かをしなければならない、と感じることが「コミットメントの力」であり、私たちの住んでいる世界はそのような思いに支えられて、より住むに値する場になってきたのだと思います。 『コミットメントの力―人と人がかかわるとき (NTT出版ライブラリーレゾナント)』 三砂 ちづる P.234 本屋でそぞろ歩きしていたとき「コミットメントの力」という文字が飛び込んできた。その場で手に取り中身も確かめずレジに向かった。「コミットメントが何か組織に変化をもたらすのだろうか」と思い読み始めて、自分がとんでもない勘違いをしていたことに気づいた。てっきり経営用語というタームでとらえていたけど、本書の「コミットメント」は国際保健の物語。国際保健に携わる筆者が経験した「人と人とのかかわり」、そう「かかわる」ということ。それがもたらす大きな力。社会の変化。その物語が目の前にあった。ああ、深い意味も知らずこの言葉を安直に使う自分が口幅ったい。猛省。 国際保健の分野の仕事につくと感じる「日本の常識は世界の非常識」。たとえば下痢症対策。日本は薬を飲んで止めようとする。その薬の主成分はクレオソート、国によっては発売禁止の物質。それを好んで飲む。だが、(診断も大切という前提で)まずは脱水にならないように水を飲ませることが第一だという。 1リットルの水におよそひとつまみの塩と大さじ一杯の砂糖を入れて、塩分とカロリーの補給をしながら水を補えば、乳児死亡率が100から50以下に下がった地域もあるのだ。(ビジネスライクな言い方で恐縮だけど)何たるコストパフォーマンス! もうひとつ。粉ミルクとほ乳瓶をサンプルとして無料で与える日本の産院事情。調乳指導のもと出入り業者が彷徨く。はじめて経験する母親はこの風景が「ふつう」だと思う。しかし、海外で広告規制の対象として禁じられている。WHOは厳しい規制を敷いている。 粉ミルクの販売戦略によって、母乳が十分出るはずの人までミルクユーザーにしてしまう『コミットメントの力―人と人がかかわるとき (NTT出版ライブラリーレゾナント)』 三砂 ちづる P.182 海外が粉ミルクに厳格な規制をもうける理由、それは狂牛病にも関連する。「バルナラブル・フェーズ」の期間に与えられる人工物。そこは自然とほど遠い。 組織の不祥事、政治の喧噪、今ことあるごとに「コミュニケーション」と主張する。不足、不明瞭、真意などなど。その声が大きくなればなるほど窮屈だなと思う。企業のミーティングに参加していて感じる。「ほんとうにかかわっている」のだろうか。コミュニケーションと主張する前に対話があると独りごちる。クタクタになるまで対話しようと構える組織は少ない(生意気な言い分で申し訳ないけど)。おそらく組織はそんな手間暇とゆとりはないのだろう。今はなんでもスピード。言葉も消費される。ともすれば、誰かの言葉を吟味する空間もない。何を言ったかではなく誰が言ったかだけが取り沙汰される。 なぜだろう? 「銀行型教育(=banking education)」の粗なのかもしれない。知識伝達教育で育った。重宝する場面もあれば力が及ばない機会にも遭遇する。「わからない」ことを探求するのではなく、「わかること」を選択して処理する。 だから「問題提起型教育(PBL)」が目にとまり、「参加型」や「ファシリテーター」といったキーワードがとびかう。だが、そこに多様性はあるのか。どこにあるのかわからない根本を徹底的に探索しようとした人がはく言葉に重みが。 「問題提起型教育」の本質は「対話」であるとフレイレは考えました。「真の言葉を話すということは、世界を変革することである。対話とは、世界を命名するための、世界によって媒介される人間と人間の出会いである」と言うのです。『コミットメントの力―人と人がかかわるとき (NTT出版ライブラリーレゾナント)』 三砂 ちづる P.219 「言葉を話すと」いう本源的権利をとりもどす。想像絶する多様性があることを忘れてはいけないと自戒。