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事故調と対話しては?
昨日、兵庫県尼崎市で福知山線脱線事故について、JR西日本による被害者への説明会が開かれた。メディアはその様子を報じる。次の文章に辟易する。 asahi.com: 遺族「なぜ」、ATS設置遅れの背景説明はなし JR西 遺族が「日本の鉄道事故調査委は米国などと比べ歴史が浅い。調査を待つことなく、自ら調べるべきだ」と質問を続けると、山崎社長が「鉄道の事故調査委はま だ『ひよっこ』だが、国が認めた機関。自らの調査と事故調査委の調査結果が違っていたらどうするんですか」と語気を強める場面もあったという。 YOMIURI ONLINE: 「事故調はひよっこ」福知山線事故説明会でJR西社長 山崎正夫社長は「事故調は長らく航空事故だけを調査対象としており、鉄道分野は最近できた。まだ『ひよっこ』と言っては語弊があるが、それでも、当社とし ては法律で規定された機関である事故調を尊重したい」と説明。さらに、同様の質問に「独自調査の結果が事故調の結果と異なると、ダブルスタンダードになっ てしまう」とも述べ、JR西としてこれ以上調査する意思のないことを明らかにした。 どちらも記事に制約があるかぎり、現場の空気や前後の文脈を省略せざるをえない。いかに伝えるか苦慮している はずだ。しかし、到底、「苦慮」の文字は見あたらない。朝日には「まだ『ひよっこ』と言っては語弊があるが」がなく、読売は『ひよっこ』を際立たせる。伝える筆力を失ったのかと淡々と読む。メディアの恣意に辟易しつつ、山崎社長の言葉の意味を咀嚼する。それでも私にはよくわからない。朝日と読売の記事を頭の中でつなげてみる。 国が認めた機関の調査結果と独自調査の結果が違っていたらどうするのか。ダブルスタンダードになってしまう。 と、山崎社長はおっしゃる。やっぱりわからない。字面どおり「どうするのか」と回答したらなら、私は「どうもしない」と切り返す。 仮にJR西日本と事故調の調査結果に齟齬をきたしたとしたら、何が起こるのか。それよりも、違っていてこそ「あたりまえ」だと思う。できるだけ主観を排除した、「事故を起こした当事者による自己分析」と「第三者の他者分析」が違っていない方こそ、私にしたら「どうするのだ」と罵ってしまうだろう。 両者が調査結果を提出できたなら、それは「結果」ではない。遺族や被害者の方々が究明にむけた出発点にたっていただくための「はじまり」にすぎない。両者がその差異に向き合ったとき、ようやく「なぜ」が育まれる。 「なぜ、独自調査と事故調の調査結果が違うのか」 この問いが過去のあやまちを現在に引き寄せ、未来の防止へと紡ぐ。そこに対話が醸成され、「私たちは何を直視しなければならないのか」と「私たちは何をしなければならないのか」を弁証して、JR西日本は、「自分たちが犯した事の重大さ」に気づくのではないか。 地層を重ねるようにして積み重ねる言葉をのぞいたら、JR西日本は何を遺族や被害者の方々へ語るのだろう。伝えるのだろう。弁証ではなく弁償のことしか頭に残っていないのか。謝罪の大半は金に換算され、それをどの程度まで抑えられるかへ力を注ぐ。 言葉を失い、思考を放棄したJR西日本が用意する列車に乗るしかどこにも移動できない自分がいる。もどかしい。