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マッチ+パッサ、新潟凱旋公演第1ラウンド終了
Noism1『マッチ売りの話』+『passacaglia』新潟凱旋公演第1ラウンドの最終日、 変則日程の2017年2月20日(月)は珍しく雨。 それも強い風と合わさり、体感気温は相当に低く、 「これなら雪の方がまだまし」とは、人はまったく勝手なものです。 fullmoonさんのお陰で、思いがけず、この日の公演を観ることが出来ました。 一昨日の公演を観て、3回目で、ある程度すっきりするところまでいけたので、 この日は「理解したもの」に捕らわれずに 目に徹して観ようという思いを抱えて、スタジオBへ。 もともと多義的なものであり、固定化・安定化しようとする視線をかいくぐり、 常に逸脱していくベクトルとしての身体、 更に、「時間の芸術」(金森さん)としての舞踊。 意味などに拘泥せずとも、 否、理解したつもりでも、 それを超えた豊饒さで私たちを揺さぶってくるのが、 金森穣とNoismだった訳ですし。 そういった刺激に満ちている点では、 ゴダールの映画に似ているように思いますし、 個人的には、それに比肩しうるように感じられます。 決して大袈裟ではなく。 なんとか理解したくて、一生懸命に観て、 少し輪郭を捕まえられたかな、などと感じると、 今度は逆に、その輪郭に縛られてしまって、 もう自由に観ることは困難になってしまうもの。 意味に関しては、人はまったく不自由なものです。 でも、ゴダールも、Noismも、その懐は途轍もなく深いものがあります。 今回途中で、唐突に2度、耳に届く「Patience!」の言葉に、 意味を志向して、それなりに安心を得ようとするのではなく、 豊饒なるものの豊饒さを取り逃がさないよう、 まず「辛抱強く」目に徹せよ、という、 私たちに求められる「エチカ(倫理)」が谺していたように聞きました。 なんだか訳がわからなくなってしまいましたね。 簡単に言うと、「わからない」ことを恐れるな、ってことになりますかね。 そんな心構えを最初に教えてくれたのが、 私の場合、ゴダールでした。 そして今、Noismも。 もともと正解がある訳ではないので、 観たままでいい、と。 それでも充分に美しい、否、それだからこそ美しい。 更新され続け、誰も捕まえてなどおけない「刹那」の美におののき続けること。 まあ、そんなことになるでしょうか。 しかし、ゴダールも金森穣Noismも見終わると、