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パターン6:行きて帰りし物語 | 物書きの城
 先日焼肉パーティをしました。皆で肉を持ち寄ると言いながら、全然肉を持ってこない友人達に完敗でした。  かくいう私も全然肉を用意していないという体たらく、似たような考えの他力本願の人物がみな集まっております。  類は友を呼ぶとはこういうことを言うのだと思いました。  西向く侍です。皆さんいかがお過ごしでしょうか。  以前に紹介した本のパターンに沿って、それぞれの梗概を作成していくという企画の6本目です。  100本のうち6本目です。ここまで来たのならば、よくぞ来たものだと自分をほめてやりたい気分です。  今までの記事はこちらです。  こちら→ 梗概100本!  パターン6の概要はこちら!  こちら『図解でわかる!エンタメ小説を書きたい人のための黄金パターン100』    出典:榎本秋(2011).『図解でわかる!エンタメ小説を書きたい人のための黄金パターン100』株式会社アスペクト  西向くが考える「行きて帰りし物語」を魅力に感じる理由   なぜ、この生きて帰りし物語が児童文学、おとぎ話、神話においての定型化されたパターンとなっているのか。  いろいろ考えながら、西向くが思いつくのは人類の生活形態にあると思います。  基本的には狩猟民族から農耕民族への移行に伴い爆発的な人口増加。大規模農業を行う上では、人は人の集落の間で暮らすことが発展の理由だったのです。  人は人の間から生まれます。そして、生まれる場所は必然的に「こちら」であるのです。  それは一定の集落で生きていることでしょう。  もしも、これが野生の熊のように発情期の時期だけつがいになり、子を成すような生き方をしている社会であれば神話の歴史は少しばかり違ったでしょう。「こちら」は存在しない。ただ生まれた場所というだけでしょう。一定の範囲をうろついて、狩場を求める生活。常に動き続ける。常に強くあり、常に精強で、常にたくましい者が生き抜く。そして、それは個の強さをたたえる物語でしょう。「こちら」に戻る必要はない。そこは衰えた狩場だからです。  「こちら」は主人公が生まれた場所、もしくは帰属する社会集団。  「あちら」は主人公以外の社会集団ないしは開拓されていない土地。