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懐かしい記事を発見!2006年元旦の朝日新聞(青森版) | YOiCHi Permanent Design Fabric
ちょっと昔の資料をガサゴソしてたら、ちょっと懐かしくてハズいものを発見。ん〜、良記事。10年後の今にも、いや今だからこそ大事な内容だと思う。 「幸せ」とは何だろう? これを読むと、その答えのヒントがあるかもしれない。(ついでに俺の本名がバレる_笑) 以下、記事全文。 幸せレシピ 長い手足を優美にくねらせ、体全体を音楽と同調させた。目はうつろだが、指先まで緊張している。 田村淳一さん(28)の前衛ダンスは友人らを魅了した。田村さんにとっても「最高のとき」だった。 05年12月2日、八戸市の郊外。溶接で芸術作品を作る友人 (41)の工房が完成し、約100人が集まるパーティーがあった。田村さんは踊りで「おめでとう」との気持ちを伝えた。 多いときで月1回、友人らが催すイベントで舞う。頭を「無」の状態にして自らの動物的感覚にゆだね、感性を全身で表現する、という即興ダンス。イベントの趣旨が分かれぱ、その思いで体が動く。「パワーをもらえるんです」 あえて東京は目指さない。「雑音の多さに自分を表現できなくなる」と言う。ただ、今 夏、旅立つつもりだ。アジアの歴史や風土に浸り、そこで生きる人たちと触れ合い、ダンスに生かしたいと思うからだ。 … ダンスは、大学の職員から教わった。本格的に始めたのは青森公立大(青森市)の学生時代。卒業を控えた02年のことだった。 その年の7月、青森県の有効求人倍率は0.29倍に落ち込み、沖縄県を下回り全国で最低に。それ以来3年4カ月、全国最低記録を続けた。 大学の友人は、就職活動に懸命だった。業種を問わず、50社以上受ける人もいた。 「世の中ではそれが正しい」と理解しながらも「彼らはいったい何がしたいのだろう」との思いは消せなかった。自分を表現する手段としてダンスにのめり込んだ。 大学卒業後、建設現場などで働いた。無理に仕事を探すことはしなかった。「義理人情を一番大切にしている」と言うだけあって友人が多く、頼まれ仕事も多かった。イベントの司会、運 送業の手伝いもこなした。 収入は月に2万から13万円。青森市内で1人暮らしする月3万円の家賃に足りない月もあった。コンビニでパイトする友人から賞味期限が切れた弁当をもらったほか、「余るほどあった」コメにみそ汁だけ、キムチだけ、という組み合わせで食いつないだ。