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ヱクリヲ vol.5 特集A:神代辰巳と文学 特集B:ゲームのリアル
総合批評誌『ヱクリヲ』 vol.5 SOLD OUT/kindle版のみ ◆電子版はこちらからご購入いただけます ※表裏のダブル表紙になります Contents 特集SIDE-A 神代辰巳と文学(エクリチュール)――ロマンポルノから日本映画史へ interview:荒井晴彦 「神代辰巳と荒井晴彦の文学(エクリ)を読むーーロマンポルノの秘蹟」 荒井晴彦はいま名画座や復刻版で目にする日活ロマンポルノは、当時の「ロマンポルノ」とは大きく異なると語ります。今では田中登や小沼勝らが想起されるロマンポルノですが、当時の製作システムはまず女優、次に脚本家を決め、監督は一番最後でした。しかし、神代辰巳は既に決定された女優と路線(団地妻、女教師、風俗モノ…)という条件や10分に一度のSEXシーンなど制約の中で、独創的作品を撮っていくことになります。口唇と同期しない音響や、編集時に脚本の一部を変更することもままありました。神代は映画編集上の自由を追求した作家です。また神代辰巳には、今まで注目されてこなかった脚本家としての側面もあります。その背景にある文学観やロマンポルノ秘話など、神代と最も多く組んだ脚本家である荒井晴彦さんが日活ロマンポルノリブート元年の今、ロングインタビューで語ります。 論考 「現在進行形」の神代辰巳―『女地獄 森は濡れた』を例に―」(若林良) 神代辰巳『四畳半襖の裏張り しのび肌』には「男とおんなにゃアレしかない」という有名な科白が存在します。神代は中上健次や丸山健二による「文学」を原作とした場合も、この思想を徹底して作品を撮っています。『女地獄 森は濡れた』はサドの翻案ですが、そこに美徳/悪徳の対立は認められません。かつて批評家の山根貞男は神代辰巳『赫い髪の女』について「主人公二人に過去がなく、駆け落ちするような未来もなく、いま、この現在だけ」があると評しました。換言すれば神代映画には現在進行形の「行為」だけがあるのかもしれません。 女が髪を切るとき――神代辰巳『もどり川』における大正/昭和の潮目(安井海洋)