blog.philosophia-style.com
合格祈願に意味はあるのか?
毎年この時期になると受験ムードが高まってきます。 お正月に神社へ行って合格祈願をする。 これは日本にはよくある光景です。 僕も受験生のときは神社に行った覚えがありますし、記憶が確かなら 絵馬も書いたような気がします。 「受験に受かりますように」って。 人によってはお賽銭をはずんじゃう人もいるでしょう。 このことは普通、神様に願いを叶えてもらうためにするワケですが、 その願いが本当に叶うと信じている人は恐らくいないと思います。 「神様にお願いしたから後は遊んでも大丈夫だ、ひゃっほー!」 なんて思って遊び呆けている能天気な受験生がいないことからも 明らかなように(いるのかもしれないけど)、合格祈願をしたから といって、その人が受験に受かるとは限らないワケです。 むしろ合格祈願云々よりも、実際にどれだけ勉強したかが受験の 合否をわけるというのは、誰もが知っています。 合格祈願をしたかどうかにかかわらず、受かるヤツは受かるし、 落ちるヤツは落ちる。 こんなことは当たり前のことです。 しかし、これが当たり前ならば、どうして受験生はそんな無意味な 合格祈願をするのでしょうか? 合格祈願しないよりはする方がいい。 僕らにそういう感覚があることは間違いありません。 明確な理由は説明できなくても、みんなそう感じていると思います。 だから願いが叶うワケではないと知りながらも、わざわざ合格祈願を しに行くワケですが、流れ星に願い事をするのもそれと同じです。 流れ星に願い事をすると願いが叶う、というのは、 流れ星を見るのは希少な体験である 希少な体験をした人は運がいい 運がいい人は(多分)願い事も叶いやすい というかなり無理矢理な(カルヴァンの予定説的な)推論の下に 組み立てられているという点で、合格祈願とはタイプが違うのですが、 それについては今は触れません。 今大事なのは、誰もがそんなものが迷信であると知っていながら、 願い事をしてしまうのはなぜなのか、ということです。 当たり前ですが、願い事というのは、それを願っている時点では 叶っていません。 「お金持ちにりたい」と願うのは、今お金持ちではないからであって、 お金持ちに値する額のお金を持っていたら誰もそんな願い事はしない ワケです。