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自分に優しく
僕は小さい頃からずっと、家族や親戚に対して「いい子」を 演じてきました。 田んぼの稲刈りや近所のお宮の掃除、庭の草抜きや剪定など、 親や親戚から頼まれたことに嫌だと言ったことは一度も ありません(予定があって断ったことはあるけども)。 心の中ではいつも「面倒臭いな」と思っていましたが、 子供心にそういう頼み事は断ってはいけないと思い続けて きました。 親戚や家族とは仲良くしないといけない。 和が乱れるようなことをしてはいけない。 そういう日本社会的な価値観が僕を縛っていたのでしょう。 気付いたときには無意識に(自分を犠牲にしてでも) 和を乱さない方を選択をするようになり、こんなメルマガを 書くようになった今でもその習慣は未だに抜けきっていません。 しかし、こんな僕だからこそ言えることがあります。 それが前回の最後に言った 「もっと自分に優しくしてあげましょう」 ということです。 嫌なことに対してはっきり嫌だと言うこと。 これは自分に優しくする、1つの代表的な例です。 僕にはこれができなかったし、多分このメルマガを 読んでいる人の中にもできない人は多いと思います。 こんな簡単なことがどうしてできないのかと思うんだけど、 長年の習慣というのは恐ろしいもので、嫌だと感じている その「感じ」をスルーして頭で判断するようなシステムが 自分の中に作られてしまってるんです。 振り返って考えてみれば嫌だと感じていたはずなのに、 その瞬間は自覚できない。 それによって「いい子」や「いい人」というのは、 自分で自分を虐待することになります。 彼ら(僕を含む)は自分で自分の価値観を捻じ曲げ、 自分の存在価値を貶めるようなことをしているのです。 家族や親戚を手放したくない。 恋人を手放したくない。 僕もこの2つ、特に今年は後者で苦悩しましたから、 その気持ちは痛いほど分かります。 でもそれはただの欲なんですよ。 嫌われたくない、愛されたい、体裁を保ちたい、 現状を維持したい、ごたごたしたくないという欲。 目を覚ましてください。 嫌なことを嫌だと言って、それでもついてきてくれるのが 本当の家族や恋人、仲間であり、人間関係とは本来 そうあるべきなのです。 以前、セミナー後の懇親会で「もうすぐ結婚するので、 夜勤のキツイ仕事だけど、あっさりやめるワケには