adolf45d.com
エンタメか純文学かファンタジーか③ | MASSIVE BLEEDING MASSACRE xxx.ver
前回のエントリはこちら。 今日は戦争や歴史を扱う際にフィクションを取り込む難しさについて語りたい。 この一連の小話はおれの創作の今後に関して重要であるというだけで、皆様におかれましては重要でもなんでもない駄文であります。無理に読まなくて良いですんで興味がない方はお帰りください。 "史実に基づいている" というのは戦争映画や歴史映画の冒頭に出てくる定番の決まり文句だが、基づいてはいるが当然全部事実ではない。 寸分たがわず史実だけを描いたつもりでも、演じている俳優が当人とは別人なのだしセリフの言い回しも変えられていたりするので、何もかもが事実なわけはない。 極限まで事実だけを描いた感じがする「ドキュメンタリー映画」というジャンルでは、一定の主張を高らかに宣言するために、作者に都合の良い場面だけを切り取ってコラージュし、不都合な真実は削除したり触れないようにしたりしている時点で作為的であるし、事実を歪めているといえるので、やはり真実だけを描いているとは言い難い。映像は真実を伝えるメディアには成り得ない。にも関わらず多くの人は映像でお勉強しようとする。 「シンドラーのリスト」でホロコーストを知ったような気になるし、「沖縄決戦」で沖縄戦がわかったような気がしてくる。 どちらも素晴らしい娯楽映画だが、歴史の教材としては落第、というか不十分である。というか、この二つははなから娯楽映画として撮られているし、小難しい顔で考え込んで欲しい、と思って作られた映画ではないだろう。とても官能的で、感情を揺さぶるタイプの娯楽作品だ。 まあ、ここでは映画でお勉強はほどほどに、というに留めて先に進もう。 じゃあ、小説は? 一見演じる俳優もないし、映像ほどは感情を揺さぶる方法ではない。映像とは違い、文字を読むという行為は強い意志と好奇心と想像力が必要であり、新聞のように絵や写真を用いることが少ないという時点で小説は宣伝に不向きだ。