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ベルリンの戦い 前編 | MASSIVE BLEEDING MASSACRE xxx.ver
ジューコフの第一ベロルシア方面軍とコーネフの第一ウクライナ方面軍の、ベルリンへの最後の総攻撃開始は4月16日を予定されていた。 北方のロコソフスキーの第二ベロルシア方面軍はその後を追随する。ソビエト赤軍の兵力は250万。それを支援する火砲と重迫撃砲41600門、戦車と自走砲6250両、四個航空軍作戦機7500。史上最大の火力の集中であった。 スターリンはライヒスターク(国会議事堂)を占拠した者に最高の栄誉を与えることを約束した。それは「ファシスト野獣どもの巣窟」の完全制圧の象徴となるのである。 赤軍司令部は突破作戦の成功を信じていたが、米英軍に先を越されることを心配していた。長年の死闘の決着をつけるのである。多くの者たちが血の海の中で死んでいった。ベルリンを手に入れる権利があるのはまぎれもなくソ連であった。 ベルリン攻略作戦は、まず市を包囲して米英軍を寄せ付けないという構想の上に立てられた。スターリンとNKVD長官ベリヤは、ドイツの核研究施設、とりわけカイザー・ヴィルヘルム研究所を無傷で占拠することを重視していたという。 4月16日モスクワ標準時で午前五時、ベルリン標準時では午前三時。 ジューコフは時計をみた。 最初の砲声が轟いた時、塹壕の中で目覚めたドイツ軍新規補充兵の一部は、いつもの「朝のコンサート」だろうと思ったが、東部戦線で実戦を積んだ古兵たちは兵士の勘でこれを大攻勢だと悟った。 「非常呼集!即刻配置につけ!」 この時の心が凍りつき、口の中がカラカラになる感じを忘れられない、と生存者は言う。「いよいよ年貢の納め時か、、、」と、誰しもが心の中でつぶやいていた。 その恐ろしい砲撃は「地獄」「インフェルノ」「大震災」、いろいろな言葉で例えられた。完全に聴覚を失ったものも多くいたという。 第一ベロルシア方面軍が保有する700万発の砲弾のうち、123万6千発が最初の一日に叩きつけられた。恐ろしい雷鳴があらゆるものを震動させた。 4月17日、ベルリン官庁街で はヒムラーが軍指揮官全員に対し、徹底抗戦を呼びかけ、「国家に対するこの自明の義務に違反するドイツ人は全て名誉も命も失うだろう」と述べた。ドイツ砲兵が弾薬を使い尽くし、戦車は燃料不足で放棄され、兵士の食料まで欠乏していた事実はあっさり無視されていた。 ・・・・・・