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第三帝国極悪伝説26ヘルベルト・カプラー | MASSIVE BLEEDING MASSACRE xxx.ver
ヘルベルト・カプラー Herbert Kappler ローマのSD司令官 所属:ローマのゲシュタポ長官、ローマ保安警察及びSD指導者 出身:ドイツ、シュトゥットガルト 階級:SS中佐(SS-Obersturmbannführer=オーバーシュトゥルムバンフューラー) 罪状:ローマで約9000人のユダヤ人をアウシュビッツへ送る。また、アルデアティーネの虐殺も彼の指示による こういう言い方もナンだがイケメンである。あくまでドイツ的な、という意味ではあるが。 彼の人生はさながら映画である。実際映画でも出てくる(後述)。 彼は残忍なゲシュタポだったが晩年はひと波乱あり、結局安らかに自宅で息をひきとった。 1907年にドイツ、シュトゥットガルトの中産階級の家庭で生まれる。普通に学校に行き電気技師となった。そして大恐慌の混乱の中で《ナチ党》が躍進し、カプラーは31年に正式に党員となっていた。ナチ党に入って当初は突撃隊の隊員となったがすぐに親衛隊に入隊。《長いナイフの夜》を経験し、27歳で結婚した。カプラーはその後もSSと国防軍双方で軍事教練を続けたが、《武装SS》には入らなかった。後方で治安任務を行っていた。36年にはSS軍曹に昇進しシュトゥットガルトのゲシュタポ本部で勤務した。そこでSDとゲシュタポの長官ラインハルト・ハイドリヒ(参考)と出会う。幹部候補学校に入って出世が加速するのであった。第二次大戦がはじまるころにはカプラーはSS大尉に昇進していた。41年にはイタリアで勤務し、イタリア治安機関のアドバイザーとして頭角をあらわす。 1943年、イタリアでムッソリーニの独裁体制が倒れると急速に権力を掌握したのがカプラーだった。ムッソリーニのあと成立したバドリオ政権がローマで影響力を持つのはもう少し先である。 9月、その頃在ローマのドイツ大使館に在籍していたカプラーはユダヤ人指導者を呼びつけ、イタリアを裏切り、人種的にも有罪であるユダヤ人を生かしたければ金塊を50キロ用意せよ、さもなくば200人のユダヤ人をドイツへ送って皆殺しにすると警告した。ユダヤ人たちは急いで金塊を用意してまわったがこれは単なる時間稼ぎだった。