しんじゅく
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“どんなにチャーシューメンが食べたいと思っていても、ラーメン屋に入ってもやし炒めと言ってしまったら、もやし炒めがでてくる。たいていのことは、そうやって口に出した言葉で決まってしまう。だから好きな人には、好きと言わないといけない”
)
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off shot by koji oyamada
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人生の全てを掛けた大一番が終わりました。結果は駄目かもしれない。でも自分なりに精一杯やったことに変わりはないので、明日から、また新たな気持ちで日々を過ごしていけたらそれで良いかなと思っております。後悔が残ったとしても、またそれも、次の自分に進むための大事な段階なんだろうなぁと。ここまで支えてくれたたくさんの人達に感謝します。ありがとう。
I'll show you the world.
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Midnight Manhattan. Photos & Gif By David Hanjani
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あたしが小学5~6年生だったときの担任・マツダ先生(仮名)は、クラスで話し合うとき生徒にたったひとつのルールを課しました。そのルールとは、「意見を言うときは、必ず理由を言わなければならない」というもの。これは鉄の掟で、例外は許されませんでした。今にして思うとこれはすばらしい教育で、あたしはマツダ先生にものすごく感謝しています。
このルール下だと、「今度クラスのレクリエーション時間でどんなスポーツをやるか」なんて議題で話し合うとき、ただ各自で
「バスケがいいでーす」
「ソフトボールがいいでーす」
「ドッジボールがしたいでーす」
みたいに提案だけしていきなり採決ってのはダメなわけ。提案するには、絶対に「なぜ自分はクラスでこのスポーツをやるのがいいと思うのか」を言わなきゃいけないんです。
そうなってくると、「自分がバスケが好きだから」クラス全体でバスケをするべきだなんて言えないわけですよ。いくら小学生でもそれは身勝手すぎるとわかりますし、第一説得力もないから。そこでそれぞれが知恵を絞り、発言はこんな風になっていきます。
「バスケがいいです。理由は今体育でバスケをやっていて、練習すればみんなもっとうまくなれるからです」
これだと、もうちょっと体育の成績を上げたいと思っている子は「そうか、バスケいいかも」って思うかもしれませんよね。理由を述べることで、味方を増やせるわけです。
これに対する反論も、「自分がソフトボールを/ドッジボールをしたいから」みたいなものではなく、もう少し訴求力を考えたものになってきます。
「バスケよりソフトボールがいいです。バスケは体育でやれるんだから、レクリエーションではもっと違うことをした方が面白いと思います」
「ドッジボールの方がいいと思います。ソフトボールは一度に18人しかやれないけど、ドッジボールなら全員でできるからです」
そしてさらに、こうした提案を聞いた子たちが、
「男女で腕力差があるからドッジはよくない」
「男女別々でやれば問題ないから、ドッジでいいと思う」
「女子だけでやってもボールをぶつけられるのは嫌という人もいる。だから、クラスが3つに分かれてそれぞれやりたい種目をやった方がいい」
「分かれて遊んだのでは、クラス全体の親睦にならない。だからどれか1種目に絞った方がいい」
等々、必ず根拠をつけて意見発表していくわけです。
こうやって丁々発止で説得し合ううちに、けっこうみんな、最初とは意見が変わっていくんですよ。「自分はドッジボールが好きだけど、当てられて嫌がる人がこんなにいるなら、バスケの方がいいかな」とか。「ソフトボールがやりたかったけど、言われてみれば学校のグローブはボロいし数も少ないし、別の種目の方がいいかな」とか。いろんな角度から意見とその理由を発表し合って、考えに考えて、意見が出尽くしたところで「では採決を」と持って行くのが、マツダ先生のやり方でした。
これが当たり前だと思ってたんだよね、小学生時代のあたしは。ところがいざ中学校に入ってみると、そこでの「話し合い」はこんなていたらくだったんです。
「バスケがいいでーす」(理由は不提示)
「ソフトボールがいいでーす」(理由は不提示)
「ドッジボールがいいでーす」(理由は不提示)
議長「はい、それじゃ決を採りまーす。バスケがいい人ー」(と、いきなり手を挙げさせて数を数える)
なんちゅう幼稚な意思決定方法だ、と12歳のあたしは思ったね。こいつら小学生以下かと。これじゃ各自がなにも考えずに「ぼくのわたしの好きなもの」を選んでるだけで、意見を交わしたり考えたりっていうプロセスがゼロじゃん。自分と違う視点に気づくチャンスすらなく、それぞれセルフィッシュに「(自分が好きだから)これがいいでーす」と手を挙げるだけで、こんなの何の意味があるんだよと。
でもねえ。最近思うんだけど、マツダ先生型の議論のしかたを義務教育で教えてもらえた人って、実は少ないんじゃないかしら。悲しいことに、あたしが行った中学でやってたみたいな「意見交換もせず、いきなり頭数だけですべてを決めちゃう」ことこそ多数決の原則であり民主主義であると思い込んでる人が、かなーり多いんじゃないかしら。
Source: d.hatena.ne.jp
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▼ レストランにて 幼稚園男子
(急いでいるお母さんに「今日はコレにしようね」と言われて)「あのねえ、ぼく、生まれたいと思わないうちに生まれて、幼稚園に行きたくないのに行
くことになって、ぼくのことなのに、どうしてみんなが先に決めちゃうの?!」
ほんとだ! 少年!!
恐山あれこれ日記: 市井の名(?)言 (via pan-no-mimi, ginzuna)
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YOU’VE BEEN VISITED BY EXAM JONGIN
REBLOG THIS POST AND YOU WILL PASS ALL YOUR EXAMS
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love = wall+wall+wall+wall
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fluffykth-deactivated20210713
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「誰かが本当のこと知ってるって思ったら ちょっとは楽でしょ」
ねむようこ『午前3時の危険地帯』1巻 count.3 堂本 (via toybox-word)

