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以前、大須が前ほど魅力を感じない云々を書いたことがあったと思う。
理由については別の機会に … とお茶を濁したと思うので、その理由をちょっと考えてみたい。

名古屋辺りで写真をやってる人は、恐らく殆どの人が大須観音付近にカメラを持って訪れたことがあると思う。
人も多いし面白い店が集まっているので、被写体には事欠かないということだろう。実際、僕自身も日参していた時期があるし、相当数の写真を撮ってきた。

大須観音と一言で言うが、ここは名古屋城築城と共に清須から移転してきた三つの神社と百十余の神社仏閣の一部である真福寺 ( 大須観音 )、性高院、万松寺、七ツ寺、大乗院、阿弥陀寺、総見寺、大光院、大林寺などが集まる「寺町」である。

それらの門前町として発達してきたのだが、芝居小屋、遊郭、映画館、電気街と、江戸期から昭和に至るまで、その横顔は様々であった。
一時期かなり衰退した時期もあったが、老若男女が集まる街として、全国的にも成功しているアーケード街というわけで見学に訪れる人も多い。

商店街、アーケード街という言葉から受ける「庶民的」な印象と、実際の大須商店街のラインナップとは若干の温度差があるように思う。
寺院の門前町という性格からか、生活に密着した店舗というのは数えるほどしかない。普通の商店街には必ずある八百屋、肉屋、魚屋といった類の、夕方には主婦が買い物カゴを持って現れるような店は殆どないのだ。
代わりに若者向けの古着屋やカフェ、あるいはパソコンショップが軒を連ねているのも特徴だろう。

そういった歴史の場所であるから、どことなく漂う猥雑さというのが、個人的には魅力であると思っているのだけど、ここ数年の大須には、そのようなアンダーグラウンドなイメージを払拭しようとしているように思える。
それは大須を単なる商業地としか考えない新規の店舗主たちの要望ではないか、と。
彼らは固定費と売上予想しか頭にないせいか、その土地の歴史などには全く興味がなさそうである。
それを反映する展開は、以前から大須に通う人たちを遠ざけている。
名古屋駅や栄と同じ、とは言わないが、そんなに代わり映えのしない雰囲気になってきている気がするのだ。

最近でも何回か足を運んでいるが、どうにも詰まらない場所になってしまった。
どうなって行くのだろうと一抹の不安は隠しきれないのである。

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながらいふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。

高校の時分、現代国語の教師がこう言った。
「お前ら、マスかくだろう。その時にな、エロ本なんて使うんじゃねぇよ。文学でイケるようになれよ」
些か不穏当な発言ではあるが、僕らは笑いながら聞いていた。
授業は「智恵子抄」の「レモン哀歌」だったと記憶している。

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

どんなに生意気なヤツでも良い、どんなにやんちゃなヤツでも良いが、この詩を読んで泣けるヤツになれ、とも言った。

イメージする力、想像する力と言うのは腹筋なんかと同じで、鍛えないとダメになるのだと思う。
そういうのは、やはり運動と同じで、若い頃に素養を作らないと、感受性が鈍り始める年代からでは結果が随分違うものになる。
本を読むのはハウ・トゥーを学ぶだけではなく ( と言うか、僕個人としては「そういうものではなく」)、生きていく上での体幹を鍛えるものだと理解している。
何か行動をする時、こうすればどうなるか、こうしたらどんな結果になるか、を想像できるのとできないのでは全く違う。
それはともすれば、その後の人生そのものを大きく変えてしまうかも知れない。
僕がこうしてテクストを毎日起こせるのも、あの授業を切欠に本を読むようになったからだと、密かに感謝している。