kato-kiyomasa

Yoshitora (active circa 1840 - 1880) 
Taiheiki: The Conquest of Shikoku, 1867


In the 1585 Toyotomi Hideyoshi invaded the island of Shikoku and seized the territory from local daimyo Chousokabe Motochika. In this ukiyo-e Hideyoshi is depicted on the right side, holding a war fan. Next to him, in the middle of the composition, you can see Kato Kiyomasa, one of Hideyoshi`s gemerals


浮世絵・その他に追加 遠藤茂平 『御物 金鯱之図 明治八年京都大博覧会出品』|森宮古美術*古美術もりみや

明治八年京都大博覧會出品 御物 金鯱之圖 遠藤茂平 1875年

“今を距(さ)ること二百六十六年の昔慶長十五年庚戌徳川氏尾州名古屋の城を築くの時肥後國熊本の領主加藤清正この金鯱を造りて名古屋城天守櫓の鴟尾(むなかハら)に供するものにて明治四年辛未名古屋藩よりこれを官に献納する所なり 全躰ハ金を以て包ミ眼球并ニ齒ハ銀として瞳ハ赤銅にて造る 高サ 八尺七寸 尾ノ開キ 五尺四寸 胴ノ周 七尺三寸 胸鰭ノ開キ 四尺一寸 腹鰭ノ開キ 二尺五寸 眼徑リ 一尺 頭高サ 三尺 鼻ノ幅 二尺六寸 重量 四十餘員の人夫を以て運送(もちはこび)すといふ”

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Kato Kiyomasa lifting a tree trunk / Toshihide

加藤清正險を冒して焼山城を襲ふ図 右田年英 年代不詳(明治)

※参照:国立国会図書館デジタル化資料 - 真書太閤記 : 今古実録. 10「加藤清正焼山城を乗取事」

“清正陣屋に還り是より山上に入て此城の後へ廻らんと云バ森本儀太夫進み出某し疾より然様に考へ候へ共山高く谷深く候へバ進み難く候はんと存じ黙止(もだし)て候と申せバ飯田覺兵衛も同じ様に申て是を止むるを清正聞て此山ハ地に續きしが中に立たるかと問森本飯田口を揃へ地に續かぬ山の有べや實に大地に續きし高山なりと申す清正莞爾(につこ)と打笑ひ三四十人を擇出し?山路を指て分入る”

“次第/\に分行バ果して大なる谷あり案内の若者此谷を廻り候へバ上り下り一里に遠く候此峯を傳ひて南へ廻り候時ハ廿町に足ず候へ共路狭くして二人とハ並ばれずと云を聞木村又藏夫ハ易き事の候よと云かと見れバ大木を押倒し/\忽ちに幅二三丈の棧(かけはし)を作り出たれバ…”