arakawaku

■道閑山 → 道灌山  西日暮里4丁目1~7番一帯の高台の総称。JR側から見れば高いが、こんもりとした森や地面の 盛り上がりがあった訳ではない。風光明媚なところから、太田道灌が砦を築いたという伝説が生まれ た。道灌とは、岩附(岩槻)城主太田資清(道真)の子左衛門大夫資長が、文明八年(1476)江戸 に青松寺を建立した頃から号したと思われる入道名(僧名)だ。しかしながら「どうかん」は「どう かん」でも「道閑」と書く「どうかん」で、こちらの道閑は、関小次郎長耀入道道閑といい、この辺 りを領していて、日蓮上人に帰依し谷中の感応寺を建てた人物で、この辺りに別荘なのか何なのか屋 敷を構えていたらしい。  江戸時代には、薬草取り、虫の音、土器(かわらけ)投げが流行り、道灌山名物となったが、土器投げ と共に諏訪台に行楽客をとられ、道灌山は衰退していった。安藤広重の東都名所「道灌山虫聞図」、 長谷川雪旦の江戸名所図会挿絵「道灌山聴蟲」、月岡芳年の東都開花狂画名所「道灌山土器」の錦絵 がある。また薬草の宝庫で90種以上もあり、明治後期まで多くの採取者が訪れた。    ガリバーが小人島かよ箱庭のすゑのものの人の動き出しも(正岡子規)    岡の茶屋に我喰い残す柿の種投げれば筑波に届くべらけり(正岡子規)
—  http://www.geocities.jp/pccwm336/sub3.html. - 荒川区の地名の由来
尾久八幡神社 Oguhachiman-Jinja

東京都荒川区西尾久3-7-3

お分かりいただけるだろうか。格子の左から10番目と11番目の間に1catなのである。

お分かりいただけるだろうか。雨どいを駆け上る衝撃的な1catの姿を。こんな日に限って広角レンズしか持ってなかった。

猫が逃げた場所に裏からまわってノーファインダーで撮ったら、わあいタンポポ。

神社と走る都電を写そうとシャッタースピード遅くしたら全体的にぶれた。