透けてますけど

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好きで好きでたまらないのに、
好きのままでいればいるほど
苦しんで傷ついて何度も涙を流すのと

なんとなく好きかなくらいで
特に苦しいことも傷つくこともなく
泣かずに安心して笑っていられるのと

どっちが幸せかって。

そんなことを何度も何度も繰り返し考える。


前者は、世界一幸せなんじゃないかと感じる日もあれば、世界一不幸だと感じる日もある。
後者は、傍から見ると幸せだけど自分の本心はそうでもなくて、自分も相手も騙してるみたいできっともやもやし続ける。

でもどちらも私には耐えられなくて、進むべき道が分からなくて途方に暮れる。
間を取るカタチもあるんだろうけど、私の人生はもうそんな選択肢など用意されていない気がしてならない。

うまくいかないことがあったとき、他人のせいにするのをやめてみるといい。うまくいかないことがあったときこそ、自分を強くするチャンスなのだ。失敗と挫折のストレスに耐えることが、その人を強くする。寂しいからといって、すぐに他人で紛らわすのをやめてみるといい。孤独に耐える力が、その人を強くする。何か欲求不満が生じたとき、それをすぐに解消しようとするのをやめてみるといい。その人は、そう決断できた自分の力を手に入れて、みるみる自分が変わっていくことを実感するはずだ。
おいしいものを食べたときに「おいしいです」、嬉しいときに「嬉しいです」というのは、現代では当たり前のように思いますよね。でも、いま、百歳ぐらいの人たちが生まれたころは〈形容詞+です〉はけしからん、と、みなが顔をしかめる表現だったんです。  そういうときは、ウ音便といって「おいしゅうございます」や、「うれしゅうございます」を使えと言われていました。でも現代では「おいしいです」「嬉しいです」といっても違和感がないですよね。  つまり、〈ら抜きことば〉にしても、多くの人が支持したり、みんなが使っていれば、それが正しいものになっていくんです。時代によって正しいとされるものがちがう、ということですね。  そういうわけで、絶対的に正しいことばというものはありません。ことばは生きているので、誰がどういう信念で記述しているのかによっても変わるし、その時代の流行、考え方なども反映されます。私が、辞書を初版からチェックして、改訂された版ごとに楽しむというのも、そういうことなんです。
成宮寛貴、これまでの壮絶な人生が悲しすぎる
・幼少時に両親が離婚し母子家庭育ち 
・小中学校でいじめを受ける 
・唯一の味方の母親が中2の時に他界 
・弟と共に祖母に引き取られる 
・弟のために高校進学を諦め引越しバイト 
・弟のために毎日弁当を作る 
・家出をし新宿二丁目でアルバイトをはじめる 
・弟が心配になり祖母宅に戻る 
・弟の大学進学のために金を貯める 
・弟が大学院に入るまで学費など全て面倒を見る 
・俳優デビューしてブレイク 
・週刊誌でシャブ疑惑 
・芸能界引退